扉を開けた先に、人影は無かった。 ガランとした室内からは特有の消毒の匂いが鼻につく。
(いないのか)
まあ思ったほどの怪我でもないし、今すぐ処置しなければならない程のものじゃない。
消毒ぐらいならとも思ったのだが、保健医不在というなら勝手もわからんし、わざわざ探してまですることもない。それこそ部室に行けば品揃えは保障できないだろうがそれなりに救急箱くらいあるだろう。
無駄足だったな。 そう考えながら、今しがた入ってきた扉に手をかけた。

「きゃ!?」
「!」

開いた扉の向こうから、バランスを崩したのであろう身体が倒れてきた。
咄嗟に利き手とは逆の手でその肩を掴んで倒れるのを防ぐ。
茶色の髪が、目に入った。

「ああ悪い…大丈夫か姉崎」
「あ、ありがとうムサシくん…」
「今は誰もいないぞ」

ごめんね、と言いながら体勢を直す姉崎に向かって告げる。

「大丈夫、私は保健の先生に頼まれてこれを置きに来ただけだから」
よくもまあ先程落とさずに済んだものだと思うほど両手いっぱいに持ったプリントの束を 部屋の置くにある机へと運ぶ。その細腕には重すぎるようにも思えた。

「ちょうど職員室に行ったら頼まれちゃって」
きっと二つ返事で引き受けたのだろう、この人の好い姉崎は。
しかし保険医は職員室か。
姉崎に運搬を頼むくらいだからまだ暫くは戻らないだろう。血さえ止まれば部活に支障はないのだが。

「ムサシくんの方こそ先生いなくて困ってるんじゃない?」

その声に部屋の奥に目をやると血の滲んだ手を見つめる姉崎の心配そうな瞳にぶつかる。
微かに顰められた眉は、文字通り愁眉とでも呼べそうなほどだ。

「いや、いないならいい。職員室まで行くのもなんだしな」

大丈夫だと促すように手をひらひらと振る。 だが姉崎にはそれが通用しなかったらしい。

「駄目よ、だってこれから部活でしょう?手当てしとくに越したことないわ」

こうゆうのはおざなりにするのが一番良くないの。そういうと慣れた手つきで何処からか救急箱を用意してくる。その素早い一連の動作に半ば呆気に取られていると、さ、座って、と椅子を指す。
ここまで来るとそう簡単に引き下がりそうになかった。
さすがにヒル魔に平気で対峙出来るだけのことはあるなと、そう感心している間にも姉崎は抗し難い表情に変わっていく。 救急箱を抱えたその姿は、心配性、その一言に尽きるものだ。だがその表情を見ているとまるで自分の方が聞き分けの無い子供のように思えてくる。心中は複雑だ。
やはりそれにどうにも抗することが出来ず、姉崎の好意に甘えることにした。
差し出された椅子に座った瞬間、パイプが金属特有の軋んだ音をたてる。
同じ高さになった目線の先に、誰のものとも違う色の瞳があった。


「でもどうしたの、コレ」
「ん、壁から出てた金具に引っかけてな。どうやら釘か何かだったらしく派手に切れちまった」
「何か刺さったりとかしてない?」
「いやそれはない」

話しながらも、姉崎は脱脂綿を取り出したり消毒液を浸したりと余念が無い。
勢いは治まったが、まだ血が流れ続く傷口に脱脂綿が当てられる。

消毒液が沁みる痛みと、冷えた指の感触がした。



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