ソフィストの舌禍
「てめえは自覚が足りない」と言われた。
ヒル魔くんの唐突ぶりにはいい加減慣れたけど、実際それで会話が成り立つわけじゃない。
それは私がエスパーかなんかじゃないかぎり、永遠に無理なんじゃないかと思う。
そのくらい、この人の思考には手がつけられない。
だから、何の、と問い返した。ごく当然、一般的な返答だ。
会話のキャッチボールには理解が必要不可欠だ。
間に溝があれば会話なんて成り立たない。
そう、私は会話をしようとしただけだ。
ごくごく一般的な会話を。
なのに、最初に言葉を投げた彼は、わざわざ弄っていたパソコンを閉じて、当たり前の返事をした私の頭を
さも当然のようにはたいた。
「っ、何するの!」
「察せ、バカ」
「あのねえ、自分の言葉に語彙が全く足りないことわかってる!?」
「てめえの自覚の足りなさのが重症」
「そんなんでいちいち頭はたかれたら堪らないわよ!」
「叩いたってわかってねえだろうが、てめえは」
「ええ、ええ、わかってません!あんなわけのわからない言い方されて、頭はたかれて、それで理解しろってのが横暴なのよ!理解を求めるならちゃんと手順を踏むべきだわ!」
「一から十まで言わねえとわかんねえのかよ」
「一と十しかないわよ、今のは!」
これで通じるなんて甘すぎる。
返答したっていうのにそれがお気に召さないってだけで頭をはたかれてさらにこっちが責められて。
理不尽だ。
彼の理不尽さは今に始まったことじゃないにせよ、ふっかけてくるのはたいてい向こうからだけど、
こんな謂れのないことで。しかもわけがわからない。
「こんな会話遊びじゃ埒があかねえな」
眉間に皺を寄せて溜息混じりに吐き出す声。
こんな不毛な会話、こっちだってしたくてしてるわけじゃない。
なのに目の前の男は。
まるで全てが私のせいみたいに言う。冗談じゃない。
もう帰るだけだった私の肩からずり落ちかけた鞄を掛け直す。
そう、もう帰るだけだった筈なのに。
こんなところで足止め。こんなことで足止め。本当に何してるのか。
埒があかないっていうのはどこまでいっても平行線だからで、実のところ本当に不毛の一言に尽きるわけで。
でもわけのわからないまま、謝罪の一つもないままでなんて帰れない。
売られた喧嘩は買う、なんて好戦的な性格なんかでは決してないけれ
ど(それこそ彼じゃあるまいし)、だからってこのまま大人しく引き下がれる筈もない。
別にはたかれた頭に痛みを覚えたわけじゃない。それでも。
こんな理不尽を、野放しにしていい筈がない。
理不尽の塊みたいなこの人の行いを、見過ごしてたらきっと被害は増すばかりだ。
私以外にもこの理不尽さに泣いてる人はどれだけいるんだろう、と思うと本当にいたたまれなくて、頭一つ分の高さの先を見据えてくってかかる。
「だったら納得いく説明してください、頭はたいたことも含めて!」
どんっ、とせっかく掛け直した鞄をカジノ台に降ろす。
もう、こうなったらいっそ徹底的にやってやろうじゃない。
こんな気分のまま家に帰るなんてできない。ストレスは家に持ちこむものじゃない。
今日も一日頑張ったなあって、そういうすっきりした気分で家に帰りたいのよ私は。
「説明、か」
「大体私が何を自覚してないって、」
「いい機会だしな」
「え?」
「わからしとして損はねえな、今が実害ありまくりなわけだし」
「は?」
くってかかることに集中していた私は、彼の様子の変化にすぐには気付かなかった。
私がまくしたてる一方で、彼は独り言のように返答する。
気付けば考え込むような目つきをして目を細めている。
その様子に、というか彼が何を言ってるのかよくわからず一瞬気が削がれる。
実害、それは彼自身の理不尽な行為を指しているんだろうか?
そして何か思いあたったかのように私の方に目を向ける。
一人合点がいったかの様子に私はついていけなくて、訝しげに目をやると、さっきまであった眉間の皺は綺麗に消えている。何なの一体。
説明を求めた私を無視して一人で納得しているのが気に食わない。
さらにくってかかろうとした瞬間、視界が180度変わった。
視界からカジノ台が消え、見えるのは部室の扉。そして彼の背中。
腕を掴まれて外へ向かっているのだと気付くのに数秒。
いつのまに手にしたのか、彼の左手には彼の鞄に私の鞄。
さっきまで弄っていたはずのパソコンと銃器が無造作に突っ込まれた鞄と一緒に、私の鞄。
背後を振り返ろうとしたときにはもう扉が閉まり鍵が回される音。
ここまでたったの数秒。
え、え?なんて思っているうちに私は彼と部室の外。
そのうえ彼は私に理解する時間を与えることなく歩き出す。
「実地も踏まえてじっくり説明してやる。理解するまでな」
「え、え?ど、どこ行くの!?っていうかどこ連れてくの!?」
理解、なんてできてないけど、ようやく口から言葉が出て来た。
説明って言ってもこれも十分理不尽な行いだし、実地って何なの、理解するまでって今のこの状況も全く理解できてないのよ!
なんて頭の隅で思った、思ったけど、まくしたてる勢いはもうなくてただもう疑問でいっぱい。
私は彼に常識の必然性を求めたかったわけで、何でこんなことになってるのか。
なんだかまだ平行線の上にいる気がする。少なくとも、私は取り残されてる気がする。
とりあえず、と思って足と手に力を込める。
よくわからない、わからないけど、足を止めて、この手を外さなきゃ。そう思った。
そうこうしていると、私の無言の抗議に気付いたのか、彼の足が止まった。
ほっとして、あとは手を離してもらうだけ…と思って半歩先の横顔を見たら彼と目があった。
このうえもなく楽しそうな、どう考えても何か企んでいるような、そんな目が私を見ている。
嫌な予感、言葉では表しきれないようなそんなものが全身に走る。
知りたくもないけど知っている!
こんな目をする彼は絶対間違いなく良からぬことを考えているに決まってる!!
「一から十までだったな、御望みどおりにしてやるよ」
きっと、私の予想に全く反しないであろう言葉。
私が声にならない恐怖に近い困惑に襲われている様を一通り眺めると、追い討ちをかけるようににやりと口角をあげて愉快そうに言い放つ。
ちょっ、ちょっと待ってよ!!という焦りだらけの声は夕方、日の沈みきった辺りに空しく響く。
誰かいないのか。誰かこの悪魔の理不尽な行為を止められるのは。
もう説明はいいです結構です、と繰り返すのに、
こんな気分のまま家になんて帰れないんだよなあ?なんてどこかで聞いたような事を言われ息を呑む。
人の考えまで読むのか悪魔は。
徹底的にやろうじゃねえか、と笑う悪魔の横で、私は何がいけなかったのかを必死で考える。
何が足りない、何が足りない。
その答えを知っていれば悪魔に捕まったりしないのか。
この悪魔についていけば、それがわかるというのか。
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気付く頃には悪魔の城
そうして気付いた後に悪魔はようやく手を離す気付いた頃にはもう遅いのに
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