目に見えない暗闇で打ち捨てた









「……ごめん…」

開口一番、扉を開けた先で女が言う。顔も上げずに俯いたまま。
謝るってなら相手方の機嫌を窺うってのが筋だろうが。アポイントメントもなくのこのこ現れやがって。
先手打って謝って、それで心証悪くしてりゃ世話ねえな。
この迷惑千万で厄介な客に構えた銃もどうせ視界に入ってねえんだろ。



ただでさえここのところ碌に睡眠が取れてねえうえ、ようやくデータ処理も終わり時間が出来て
暫くぶりに惰眠を貪ろうって時に間が悪く突然の来訪者。呼び鈴に殺意を覚えたのはこれが初めてだ。
あの間の抜けた音にここまで頭を揺さぶられるとは思わなかった。
後腐れないように徹底的に破壊してやるとしよう。
床に転がるワルサーを拾うと睡眠を求める身体に反して玄関に向かう。
呼び鈴は一回だけだが気配はまだ扉の向こうに。
ああいい度量だ。しつこく鳴らさないだけ実に賢明、だが今この瞬間に来た事自体救いようがねえ。
なけなしの労力をさいても処刑してえ。
右手のワルサーにサイレンサーがついていないことに気付いたがもう面倒だ。
殺意を抱かせる呼び鈴に比べりゃ銃声なんざ子守唄だ。
聞きなれてる分だけ救いがある。



睡眠なんざある程度取らなくたって死にやしない。既に幾度も実地済み。
だが間違いなく思考は鈍る。それは人体を持つ以上俺とて例外ではなく。
殺意を抱こうが何しようがワルサーなんぞに目をやらず、身体の欲するまま睡眠を貪る事を選ぶか、
馬鹿丁寧に扉を開けて命知らずの輩の眉間を狙うなんてことはせずに、トンプソンでも持ってきて扉越しに蜂の巣にしてやるべきだったのだ。


鈍った思考は、間違いなく選択を誤った。
その苦い後悔は扉を開けた向こうにいた非常識女を見止めた途端に湧き上がってくる。
ああこのままこの後悔ごとこの女の頭を撃ち抜いてやるか一刻も早く睡眠を得るためには最も妥当な手だ。
早くも回転を止め始めた思考がそう促す。
お誂え向きに下を向いて、銃に気付いていない今なら耳障りな悲鳴も聞かずにすむだろう。

そう考えたとき、小さな音が、だがはっきりと響き渡る。
その音はどう考えても女の鞄が発信源。
俺の機嫌の悪さに拍車かけてんなおい。

目の前の女はというと、その音で目を覚ましたみたいに身体を反応させた。
だがそれに向かって手を伸ばしかけたかと思うと一瞬躊躇し、そのまま引っ込める。
何なんだおい。
鳴りっぱなしで放置されたそれは未だ振動を続け音を立てる。
このまま馬鹿みたいに膠着状態を続けろってのか。
耳障りな音を聞きながら無意識に右手に力がこもる。


いい加減止めろ、と口走って指先を引き金にかける前に女はもう一度ごめん、と返すとその場で踵を返した。
この唐突な登場、そして退場についていけないのは思考が鈍っているせいか。
顔も上げず、鳴り響く音を止めることもなく。それはもう、呆気ないくらいの潔さ。
惰眠を貪るはずだった俺の神経を無駄に昂らせ逆撫でして。



俺の貴重な時間を踏みにじるだけ踏みにじった挙句がこれか。
糞女。
俺は眠いんだ、鈍った思考をこれ以上使わせんな。



苛立ちまぎれに力を込めた指先は、ワルサーを握る右手ではなく空いていたはずの左手。

鈍ってる。全くもっておかしい選択肢だ。わけがわからねえ。

そんな頭をよそに空だった左手は何かを掴んでいる。

グリーンのブレザー。女の腕。

何なんだ。




力の加減もない。今にも走り出しそうだった女の身体がその反動で揺れる。
確かめるまでもなく驚いている。当然だ。俺だって驚いている。
だが今はそんなことに構ってられない。

女が振り向く前に今度は俺が踵を返す。
女が向かう先が外なら必然的に俺が向かう場所は中。
右手にはワルサー、左手には女の腕を持ったまま。
振り向くことはない。
左手の中の腕は何の抵抗もしない。大人しいものだ。
腕だけ残して消えるなんて器用な芸当がこの女にできるのなら振り向いたかもしれない。
勝手に現れて勝手に消えるなんざ許してたまるか。

何なんだこの考えは。
鈍ってるのか、止まってるのか。
ああもうどちらだって構わない、後は寝るだけだ、惰眠を貪るだけ。
理由なら起きた後にでも考える。


背後でガチャリと扉の閉まる音がした。
これで外部とは完全に遮断。そういえばいつの間にか音が止んでいる。あの耳障りな音が。
聞こえるのは俺の迷いのない足音と、その後ろのどこか躊躇いがちな足音。
途中、ゴトッと音がした。右手から重量が消えたことでようやくワルサーを落としたことに気付いた。
反射的に左手を握る。あああるな、とそれだけ思った。
腕だけ残して消えるなんて器用な芸当、土台この女には無理だ。
不器用で非常識、そのうえ抜けてる。これが左手の中の腕の持ち主の称号。
ああまだまだあるな、思考が追いつかないだけで。

振り返って目が合ったら、この止め処ない思考が漏れる気がした。
そんなもんは御免だ。都合を考えないのはお互い様だろ。
そういやそもそも何しに来たんだこの女は。そんなことにすら頭が回らない。
無論、今はそんなことを聞く気も起きない。聞いたところで頭に入りはしないだろうが。
そのうえ俺は何をやってんだ。
だがその原因を作ったのは俺じゃない。
理由が欲しけりゃせめて目を覚ました後の俺にしろ。
鈍った思考をどうしたところで出てきやしねえ。




ドサリ、と倒れこんだ先でようやく女が小さく身じろぎした。
身体は既に睡眠を欲している。思考だって限界だ。
知ってるか、ストレスは睡眠の大敵なんだ。そうつまり今の俺にとっても。
今更。もう何も考えさせるな、全部後回しだ。
この間にも間違いなく大脳の細胞破壊は進んでいる。
俺を永眠につかせる気かこの糞女。

「てめえの相手は起きたらしてやる」、そんなことを言ったかもしれない。
判断力も地に落ちたもんだ。やっぱりやられているな脳細胞。
呼び鈴は破壊。それだけかろうじて思い出せる。
起きて覚えてる保証はねえがまあ次があったらそんときにでもやる。徹底的に。容赦はしない。
何にせよ女は大人しくなった。左手の中にあった腕のように。
俺のベッドの上、俺の腕の中で。


もういい後は寝るだけだ。全ては起きた後。
完全な思考回路で考えればいい。後悔なんざ知ったことか。
どうせ今の俺には感じた後悔を理解する思考すら残っちゃいない。



全てを鈍った思考のせいにして、今はただ目を閉じ意識を手放した。








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抱いて眠ったのは頭痛の種
それでも今はそれが安眠を運ぶ



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