馬鹿な事をしたものだ。
無論、それは俺の事じゃない。
目の前で壁際に追いやられている女の事だ。




壁は越えるためにあるのだと言った奴、それをこの女に信じ込ませた奴。それは正しく、そしてまさしく愚かな行為だ。女は自ら壁を越えやってきた。迂闊にも。壁は視界を遮るものでもあれば、自らを守るものでもあるというのに。 壁は障害、女は自らの価値観でそれを真っ直ぐ乗り越えた。 実に馬鹿な事をしたものだ。
その意味を、女はここで知ることになる。


全く、無知は罪とはよく言ったもの。
壁の中で狭い世界の更に狭量たる視野に収まっていた女だ、然もあらん。
ならばこの際教えてやろうじゃねえか。
だが善人でもない俺は説教なんざくれてやる気は毛頭ない。悔い改め贖罪を求める憐れみ深くも悪趣味な神を気取るが如くの行為にもまるで興味は無い。断罪なんざもっての外。それで済むなら裁きを欲する神なんぞよりもなんとまあ慈悲深いことだ。 が、しかしそうもいかない。何せ俺が殉ずべきは俺の意のみ。
とはいえそれは今ここにおいては実に単純。つまりはただ更なる罪を教えてやるだけだ。
さながら楽園の蛇の如く。

女が壁を越えようとする様を、俺はただ黙って眺めていた。
そうだ、俺は善人じゃない。壁を越えた先に福音はない。 壁を乗り越えこちら側に降り立つまで、何一つ告げはしなかった。 女の愚かしさに笑いを堪えていただけ。
全ては女の意思。
文字通り無知なる女を唆す、失楽園の立役者たる蛇は壁の中にはいなかった。
全く、無知がこれほどまでに業が深くて罪深いものとは。 然しもの俺とて知らなかった。
実に、愉快。


掌には冷たく硬い壁の感触。 女は今それを全身で感じているのだろう。
呪えばいい、好きなだけ。愚かな自分を。大いなる愚行を。
ああ今既に真っ最中か。それは大いに結構。だが全てが遅い。


壁を越えたのはてめえだ。
もう壁の向こうには帰さない。





(語ろう、いまこそ真実を。)